2008年4月 2日 (水)

メコン川流域

メコン川流域開発計画(GMS・・Greater Mekong Subregion)を協議する 3年に1回の 流域6カ国首脳会議が 3月末 ラオスで開催されたとのこと。

2002年11月に プノンペンで第1回が開催され、今回で第3回目。 この間 昆明-ラオス-バンコクの回廊がつながったみたい。 ベトナムからの東西に加えて 南北ルートも開通し、通過国だけでなく、ラオスの経済発展に つながって欲しいのですが ???  sign02

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2008年1月20日 (日)

寒いビール

モスクワ・新アルバート大通りへの 入り口で 飛び込んだ 食堂での 1枚です。

寒いTPOも ビールには、最高の舞台を実感。 羊肉の串刺しバーベキュー と キャベツロール2個 + ビール です。

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2007年9月25日 (火)

武漢・ビール

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中国・武漢市 高速道路上での 雪印ビールの 広告看板です。 なんで この種の看板にまで 目線が 反応してしまうのだろう か ? 

 でも 本能的に もう この種には 早晩 出会えなくなってしまうことを なんども 感じて しまっている 結果の 無意識的な反応かも しれない。 

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2007年3月 4日 (日)

カンボジア・アンコール

アンコール・ワットには 訪れたことはないのですが、「アンコール・ビール」には お世話に なっています。

 日本国内で開催された プノンペン国立博物館所蔵の"大アンコールワット展"も含めて、アンコール・ワットの写真集・解説物 など たくさん 集まってはいるのですが、なぜか それで 満足してしまっていて、実際に 現地を訪れるまでの 関心は まだ 生まれては きていません。 壁画に 織物の 一場面 でも あるとの情報を得れは 間違いなく 訪れるとは 思うのですが。 まだ、織物との つながりが 見出せていない もので。

カンボジアの "アンコール"・ビールだけは、いつかはと 誘っています。

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2007年2月 5日 (月)

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ベトナムの 地ビール です。 数字が 並んでいる 「3 3 3」。 ベトナム語での 発音は バー バー バー。 このビールも あちこちで お世話に なります。

野ネズミ料理、、 当初 ベトナム語のみのメニューだったので、何を注文したのか 一切 理解しないまま この 333 ビールと ともに 食べましたが、ベトナム語を しっかりと 記録したメモから 後で 確認 できました。 メコン・デルタ-- カオライン、セオ・キット(シェア・ウィツト)の食堂での 出来事 でした。 コウノトリにも 出会えました。

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2007年1月27日 (土)

何も要らない

ラオス へ 観光目的で 入国 するには もはや 何も 要らなく なりました。 そう VISA を 意識 する 必要が 今年 1月1日 から なくなりました。

かつて は 入国 事前のVISA取得が 必須で 発行されても かつ 首都 ヴィエンチャン の 近郊以外に行くには 移動が厳しく 制限されていた、 という そんな 時代が 間違いなく ありました。

「規制」 とは 強化される ことは なく 緩和 される もの だ と いうことを 実感 します。 これで ラオス入国の際の ビザ・オン・アライバル 取得  という 手続き から  も 解放 されます。 

ヴィエンチャン の 街中 で 銃を 肩に掛けた 歩哨 武装軍隊が あちこちで 見かけられた 時代は 間違いなく 過去の 遺物 の よう です。

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2006年12月30日 (土)

サイゴン・ビール

やっぱり どこへ 出かけても「Beer」には お世話になって しまいます。

ベトナムの 地元ビール「サイゴン」、それも スペシャル です。 ビールの味は 各国さまざまで、それぞれの お国柄を 目いっぱい 感じる ことが できる 最良の ガイド には なります。

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2006年12月 9日 (土)

大河 の 雲

多分 水蒸気の量が 微妙に 相違するためではと 思い込んでは いますが、海の雲とは 違って、大河 上空の 雲は 形・趣を 違にする よう です。 メコン川の 上空とか メコン川周辺の町での 雲の形には ついつい 私の目線 は 魅了されて しまいます。朝方、真昼、夕方 に よっても 雲の 色は 大きく 相違 しますし。

母なる川・・・ メコン川を 覆う 雲は いろいろな 姿を 表現する よう です。 水面からの 上昇気流の イタズラでは と 思いますが、メコン川上空を ポッカリ と ドーナツ状を 示す こんな 雲に 出会うと 嬉しく なります。

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2006年11月28日 (火)

共演

カンボジアとラオスの ビールが 並んで いました。 思わず ニッコリと してしまいます。 カンボジア・リゾート地の 一駒です。 カンボジア・プノンペン市内の 川沿い近くの「チェンマイ・レストラン」で、チェンマイ・ソーセージを食べながら、ビア・ラオを 飲んだ時には、なんとも 自己満足に 陥いり ました が。

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2006年10月 3日 (火)

ラオス ビール

"ビア・ラオ"(ラオス・ビール)とは 長い 付き合い です。

今のような 殺菌工程を経て 長期間保存に耐えられる 瓶ビール(ラーガー・ビア) が 存在しなかった 時代 が 間違いなく ありました。 作られれば 直ぐに 飲まれて しまわなければ 味が 鮮度か 極端に 劣化してしまう ラオス・ビール、生ビール、地ビール が。

当時 ラオス・ヴィエンチャンでは 生ビールは 日本で言う "ヤカン"に 入れられていて、グラスに 注ぎこまれて いました。 ある店で ヤカン から 泡立つ 液体を グラスに 注ぎこまれているのを 見て、私も それが 飲みたいと 所望 しますと、結果は お茶 で あった ことも。

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2006年10月 2日 (月)

同胞

香港での出来事ですが、出稼ぎに来ている タイ人女性達が 多分 休日に 仲間が集まってくる お決まりの場所では ない でしょう か ?  フィリピン女性の方達は また 別の 場所が ある よう な  ?

大変 申し訳ないと思いつつ、決して お邪魔を しないよう、陰から じーっと 彼女達の 行動を 何時間も 見てしまって いました。 かつて、タイ・ノーンカーイの近くの 村・ ターボに立ち寄った際、小さな 子供が二人居る 旦那が 女房を日本に 出稼ぎに連れて行って ほしいと 真剣に 頼まれた ことを 思い出します。子供が 居るのに どうするのと 叱った ことを。

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2006年7月17日 (月)

地ビール

中国・西安・・ シルクロードの出発ポイントです。 かつて 平安京から遣唐使が 向った都 「長安」です。 シルクロード終着ポイント・・フランス・リヨンとは 趣を異にします。

 刀削麺を食べながら また 羊肉泡食莫(パオモウ)を食しながら 現地の地ビール「漢斯啤酒」(ハンスピール)を 飲む。。  この通りを 西に向う 東から来た 西から来た かつて 何人の人が 何の想いで、過ぎたのだろうと ついつい。。。

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2006年6月 2日 (金)

中国の織り機

中国・広州に 何泊か 立ち寄った際、目指した訳では無いのですが、「烈士」のお墓メモリアルに 足が 向いてしまいました。 そこで 「博物館」を見つけましたので、時間が迫っている訳でもないので、足を 運んでしまいました。

展示物は 戦争中の日本軍隊の 中国人に対する残虐さを訴えるものが中心でしたが、たまたま 中国民衆の 生活用品として、竹を使用した それは 当時の知恵の結晶とも思われる「織り機」を 見つけて しまいました。 さすがに その種の展示物を見た後ですので、撮影の蛮勇は起きませんでしたが、また いつか 再会を とは 思っています。

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2006年5月24日 (水)

交通安全お札

 ラオス・東北部からベトナム国境へ走る トラック・バスのハンドルに 巻きつけられていた 交通安全祈願(?)の お守りを 見た時には、嬉しくなりました。 例の お寺で祈願された「白い木綿糸」は当然に、文字通りの 「お札(さつ)・・お札(ふだ)」が しっかりと 付けられていました。 愛する人々・家族からの 運転手への思いやりが 伝わります。 

 タイでの路線バスでは もう めったに 見かけなくなった ような ?? 光景です。

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2006年5月14日 (日)

戦線便り

曲名 : 「戦線便り 媽媽我也眞勇健」

・・ 島のバナナが 食べたいと 若い戦友の 獨り言。 戦いすんだ ひとときに 僕も「あけぼの」 吸いたい な.。

・・ くに を 離れて はや み(三)月 オレは 変らず 元気だよ。今日も 敵陣 乗り込んで 晴れの手柄を たてました。

台湾の方々が 皇国の日本人とされて 戦地に送られ、その時の 彼らが 口づさんだ 軍歌の よう です。 台湾のCD屋さんに立ち寄った際に つい 買い込んでしまった 曲集に 入って いました。 アジアの現地に行きますと、「本屋さん」と 「レコード屋さん」 には 仲良く なって しまいます。 

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2006年4月29日 (土)

ビールと1$

どうも あちらこちら の アルコール飲料の ビールには お世話に なります。

ミャンマーでは 特に 生ビールの味の 誘惑には 勝てません。

でも 現地の方は 一日 働き続けて 1ドルを 得ている方達は それほど 多くは 無い ようです。 それを 思うと 大変 不埒な 人種の 模様 です。 この画像は ピイ・Pyay(prome) の食堂の壁のポスター と タチレイ・Tachileikの食堂での ミャンマー・ビール です。

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2006年4月 1日 (土)

ビール タイ

 暑くて 汗が流れるタイ国での 水分補給には ビールが ベストなど とは、のん兵衛の 都合の良い 理屈 では ありますが。 真昼間 昼食時に ビール片手とは タイ人に 日本人の悪評を植え付ける 格好の材料には なりそうな。 

でも 中瓶一本 100円の誘惑には 勝てません。

タイ北部・チェーンセーンのメコン川堤防での ゴザを敷いた屋台街で たっぷりと メコン川のそよ風に 包まれながら 焼き魚、のしスルメイカ、ヤム等々を注文しながら 数時間を過ごした時、向かいの フレッシュマートで 飲み物を 調達しました。 その際に 久しぶりに 「アーチャー・ビア」(虎でなく象でなく獅子でなく、馬) を 見つけました。 最近は あまり 見かけなかった ものですので。 「安い」の代名詞 だったのですが。

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2006年1月25日 (水)

台湾の苧麻織り

 台湾・泰雅(アタヤル)族の伝統的織文化に関する 全163ページの書籍(1999年12月台湾刊)を 手に入れました。 苧麻(チョマ)の植生、績み、染め、織り について 写真入りで 極めて丁寧な記述の本で、大変 喜んでいます。

 腰織りなのですが、その織り道具は、独特の文化の模様です。 じっくりと 読み漁ります。

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2005年12月20日 (火)

海外のタイ料理屋

 なぜかしらないのですが、タイ国以外を訪れる際にも ついつい タイ料理店を 見つけてしまえば、1回くらいは その国の方にも 無礼ではないでしょう との 屁理屈を付けて、タイ料理店に 入ってしまいます。 何も ここまで来て いまさら タイ料理でもとは思いますが、日本料理を食べる くらい なら の 気持ちです。

 フランス・パリでも カルチェラタンの宿泊先近くで見つけてしまうと つい タイ料理 堪能です。 お客は フランス人only でしたが、フランス人が食べる タイ料理の堪能の仕方を見ているだけでも、感動はしました。

 ”パーターカーン・チェンマイ”(チェンマイ・レストラン)と称するタイ料理屋でした。 一応は フランス語メニューで フランス語で注文したのですが、タイ人従業員を見つけると つい。

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2005年12月19日 (月)

タイ国歌

 ”闘うことになれば恐れはしない” ”占領には抵抗する” ”国家のためには すべての血の滴を捧げる” 何とも 勇ましい 国歌です。 例の 朝晩に 街中に流れる タイの国歌です。 あの 温和なタイ国民が こんな過激な詩の 国歌を と 思います。 タイ現地で つい 仲間意識が芽生えて、周りの人と歌いだし、最後の 「チャイ チャヨー」を 高らかに 叫んでしまうことも。

 日本では 吹奏楽での国歌演奏CDは 目にするのですが、タイ語・原語での国歌録音CDを見つけるのは 結構 難儀です。blog04e

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